父の言葉を噛み締め「道理」を何よりも大切に
1961年10月、私の父が立ち上げた黒田商店が今に続くクロダの原点です。リヤカー1台で家々を回り、新聞、雑誌、段ボール、鉄屑などの有価物を回収する事業でした。忙しい時は、私も学校を休んでリヤカーを押しました。そうした時、父がよく言っていたのが「嘘とドロボーはするなよ」という言葉です。今でも脳裏から離れません。よくよく考えてみると、これは「人の道」ということです。仕事や人とのつき合いにおいて最も大切なのは「信用」であり、この信頼関係を築く上で最低限守るべき規範を父は教えてくれたのだと、この年になってわかったような気がしました。「人の道」つまり「道理」こそ、私が最も大切にしている基軸です。弊社の成長を加速させた重要な意思決定において、意識はしていなくとも常にこの基軸が影響を及ぼしていると感じています。弊社の躍進の端緒は、1971年当地富士吉田市がごみの収集を初めて民間業者2社に委託したこと。そのうちの1社が弊社で、やがて富士吉田市全域の7割を請け負うようになります。しかし、なるべく多くの業者に業務が受託できるよう富士吉田市環境事業協同組合を設立し自ら副理事長に就任。同業他社の共存共栄を重視し、仕事の分配に尽力しました。
市のリサイクル事業への新たな道を切り開く
市のリサイクル事業への全面支援は、私たちの名を広めた一大事業でした。これまでごみとして一括廃棄していた時代から、リサイクルできるものを資源ごみとして分別し、新たに指定した日に回収するというもの。誰もやったことのない試みに、当時10名の社員のうちこの事業に割り当てられるのはわずか2、3名という過酷な状況の中、死に物狂いで市中を駆け巡りました。日本が本格的なリサイクル社会に向かう幕開け。その先駆けとして、富士吉田市に新たなリサイクルの道を切り開いたのです。以来、「リサイクルのクロダ」という信頼をいただくようになりました。同時に取り扱う廃棄物の量も膨大となり、社屋や工場の整備・拡充を図っていきました。各事業所・店舗から発生する事業系廃棄物の定期回収や機密書類の処分などのきめ細かな対応。お客様の工場や企業敷地内に弊社のコンテナを設置し、回収対象となる廃棄物を入れてもらい、空のコンテナと入れ替える新たな試みも。さらに、“めんどくさい” “もったいない” “もちはこびしない”の3Mを解消するため各家庭を定期的に訪問し、無料で回収作業を行う「もったいない倶楽部」、持ち込んだ資源物の重量に応じてリサイクルポイントが付与される「森のエコステーション」など、新たなサービスも次々と生まれています。
社会貢献を見据え雇用促進にも注力
企業活動を通じて、地球や地域の豊かで住みやすい社会づくりに貢献すること。それも私たちの使命と考え、環境学習・教育事業への協賛や様々な講演活動を通じて環境保全の大切さを訴えています。また、少子高齢化に対応する雇用促進にも注力。65歳以上の高齢者や生まれ育った環境により就労に苦労している方、心身に障がいを抱えている方を積極的に雇用しています。仕事柄体力を要する会社ですが、廃棄物やリサイクル物の仕分けなどの軽作業もあり、短日・時短勤務などの体力に合わせたシフトも柔軟に対応しています。外部講師による専門知識および社会経済情勢の勉強、海外視察研修、環境・リサイクルの学習、マナー研修、特殊車両などの免許取得のための教育など、充実したメニューで人材教育にも傾注。こうした制度に加え、「道理」を軸とした人間教育に心血を注いでいます。