建設業を通じて戦後の復興に貢献し自社も発展
当社前身である増岡商店は、1908年に旧日本海軍の鎮守府が置かれていた広島県呉市で創業しています。御用商人として軍にさまざまな物資を調達するだけでなく、軍事施設の建設なども手掛けていました。戦後は復興に向けた建設需要のもと、工事部門が株式会社増岡組となり新たなスタートを切ります。当社の大きな転機となったのは、戦後まもなく東京駅八重洲側の開発計画に参画したことです。創業以来当社と深い関わりがある方々のご協力のもと、東京駅のランドマークとなる鉃鋼ビルディングを建設。建設後のビル管理を担う株式会社鉃鋼会館(現株式会社鉃鋼ビルディング)を創設しました。現在は鉃鋼ビルディングがグループの親会社となり不動産を中心とした資本集約型ビジネスを、100%子会社となった増岡組は建設・土木の労働集約型ビジネスをとグループとしてバランスのとれた経営をしています。
社長就任後は社内の改革に着手し風通しの良い社風を生み出す
私は大学卒業後に三菱地所株式会社に就職し、英国駐在員として、ロンドン中心部の再開発事業を担当しました。1993年に増岡グループに入社し、主に不動産開発に関わります。思い出深いのは、2015年に竣工した鉃鋼ビルの再開発です。歴史あるビルの建て替えは大きなミッションでしたが、良いチームに恵まれ成功させることができました。その後、同社の取締役などを経て2021年に増岡組の代表取締役社長に就任しました。就任後に私が取り組んだのは財務体質の健全化です。約2年をかけて自己資本比率を大幅に改善した後には、組織改革にも着手しました。われわれの仕事はチームだからこそ挑戦できるものです。その挑戦は仲間への信頼がないと成し遂げられません。信頼関係を高めるには社内の透明性も大切です。そのために縦割りではなく横断して情報や戦略を共有できる環境が必要と考え、体制を見直しました。広島本店では物理的にも部門別に仕切っていた壁を取り払い、社員間のコミュニケーションが取りやすいレイアウトに変更しました。これにより部門を超えた社員の交流が生まれ、担当者以外でもお客様の情報や工事の進捗状況がわかるようになりました。結果としてお客様へのサービス向上につながっています。
シンボル的な建築から伝統文化財まで街の景観を創造し守るのが役割
当社は長い歴史の中でさまざまなプロジェクトを手掛けてきました。旧広島市民球場、マツダズームズームスタジアム広島、大和ミュージアム、尾道松江線、東広島呉自動車道など地域と関わりの深い建造物を残しています。また広島だけでなく、関西、関東でも多くの建造物を手掛け、近年ではベトナムでのハイズオンガーデンなど世界にも飛び出し、新しい歴史を築いています。最新の建築だけでなく、創業時から国家的文化遺産や史跡建造物等の修復工事にも多く携わっているのも当社の特徴でしょう。最近では国宝の嚴島神社大鳥居の大規模修復工事に関わりました。当初の予定を大きく超える3年半の工事になりましたが、70年ぶりに行われた歴史ある工事に携われたのはとても名誉なことです。このように歴史的建造物の移設や復元、神社仏閣の建築を通して伝統的建築技術の継承に努め、建築文化を守り続けるのも当社の大切な役割だと認識しています。
豊富な経験と最新の技術を融合し時代の流れに柔軟に対応する
建設業界は歴史的に見ても競争の厳しい業界です。昨今では人手不足や主要資材価格の高騰、環境問題の高まりなど建設業界を取り巻く環境は決して穏やかではありません。当社でも最新のDX技術を導入し、効率性と生産性の向上、労働環境の向上に取り組んでいます。例えばドローンを用いた測量などでは、正確な計測が可能になるだけでなく、作業時間の短縮、作業員の安全も確保できるようになりました。これまでは人の“数”でカバーしてきた作業も、DXやAIを活用して一人当たりの生産性や能力を高めています。「万物は流転する」私の大切にしている言葉です。当社は歴史の中で受け継いできた思いや技を守りながら、これからの変化に柔軟に対応し時にはイノベーションを起こす。その姿勢を大切に建築や土木を通じて人や社会を支える企業であり続けます。