「深化と探索」を経て
事業はより多角化へ
弊社は送電線の建設事業者として、1961年4月に福島県会津若松市で創業しました。1968年には電気設備工事業にも乗り出し、両輪体制として歩み始めます。私が父の跡を継いで代表取締役社長に就任したのが、約35年前のこと。以来、情報通信、光触媒、建築、機械設備と事業領域を増やしていき、現在は6つの事業を展開しています。これらの事業展開は、経営スタイルとして掲げた「深化と探索」を追求してきた結果です。社長を継いだときは送電線の建設事業と電気設備工事業の2つだけでした。そこから事業を発展させることを目指したのです。例えば、光触媒事業の外壁塗装への応用から、環境ニーズの高まりと共に深掘りをしていくと、内装やリニューアル工事を担うようになり、それが元で建築事業部が立ち上がりました。私は技術者ではないので、社長に就任してからは「いかに会社が永続性を持てるか」を考えて、最良の一手を模索して新たなビジネスにトライしてきました。こうして、既存の事業にとどまらず、時代や環境の変化に対応することで新たな事業を創出できたのです。
経営理念と経営計画
見える化で社員と共有
昨年は設立60年を果たし、100年を見据えて企業は成長を続けています。それはひとえに社員の頑張りのたまものです。ただ、やみくもに社員に「頑張れ」とハッパをかけても難しいものです。社長に就任した当時は、バブルが弾け同業者でも倒産が相次いだ時代でした。そこで私は、自分なりに「経営理念」と「経営計画書」をつくることにしました。経営理念の一部に、「お客様に最高のサービスを提供し“企業の永続的な繁栄”と“社員の幸福”を目指す」という言葉を掲げました。といっても、これらの文字では抽象的でどうすればいいのか社員には伝わりませんので、例えば「企業の永続的な繁栄」のためには何をすればいいかを、数字や方法を経営計画書に落とし込んでいきました。やることは何か、誰が担当するか、目標にする数字や期限をどう設定するか、様々な項目を具体化して、それを皆で月ごとに確認していったのです。こうすることで、やるべきことが社員にも明確になりました。
若手社員が定着する
技術継承と高い賞与水準
一方で「社員の幸福」にどう答えるか。経営者としては一人ひとりが働きやすく、かつ、成長できる体制を敷くことに力を尽くしました。長年培ってきた技術を若手社員に継承するために、「KOYO技能・技術大学校」と称して、年2回、社内で勉強会を実施。1日中ノウハウを伝えていく場を設けています。各現場で必要な資格取得も積極的に支援するために明確なプロセスも敷いて、目標をもたせています。1級電気工事施工管理技士や第一種電気工事士が多く在籍し、最先端のドローン技能認定の取得者もいます。それ以外にもノー残業デーや休暇制度を充実させるなどの福利厚生にも着手。栃木県内や電気工事事業界ではトップクラスの高い賞与水準で、経済面でも手厚くサポートしています。内部留保で企業体力をつけるのも大事ですが、社員が頑張った分には応えていきたい。業績が苦しい時代も「1000円でも多く賞与を出そう」と考え、経営する側としてチャレンジを継続したことで、働く社員のモチベーションにもなっていたと思います。そうした改革が世間に浸透したのでしょうか、近年の採用活動は順調で昨年8名、今年6名の新卒者を採用し、社員の定着率もアップしています。若手にも魅力ある、安心して働ける職場環境を構築できていると実感します。